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松田聖子の英語の発音ってどう?超多忙な生活で習得した英語勉強法とは?

昭和のトップアイドルといえば、超多忙なイメージがありませんか?

そんな多忙な生活を送っている松田聖子さんも英語習得をしています。

どのように学習したのか、どうやってモチベーションを維持し続けたか、気になりますよね。

今回は、超多忙な中でも英語を身に着けてきた松田聖子さんの英語習得方法をお伝えします。

目次

松田聖子さんについて

昭和のトップアイドルとして真っ先に思い浮かぶ松田聖子さん。

TVや映画でも精力的に活動されている聖子さんは、男性女性を問わず大人気です。

2020年にはデビュー40周年を迎え、今もなおディナーショーのチケットは即完売になるほどの人気を誇っています。

では松田聖子さんのプロフィール・経歴・学歴についてご紹介していきます。

松田聖子さんの基本プロフィール

  • 生年月日:1962年3月10日生(現在59歳)
  • 本名  :蒲池法子(かまちのりこ)
  • 出身地 :福岡県久留米市荒木町
  • 代表曲 :「赤いスイートピー」「青い珊瑚礁」「夏の扉」「あなたに逢いたくて~Missing You~」
  • 代表映画:「野菊の墓」「プルメリアの伝説~天国のキッス~」「家族のレシピ」
  • ハリウッド映画:「アルマゲドン」「サロゲートマザー」

松田聖子さんの経歴・学歴

松田聖子さんは、お父様の希望もあり1977年カトリック系の久留米信愛女学院高等学校に入学し、キリスト教や聖書について学んでいました。

この頃から、大ファンであった郷ひろみさんの影響もあり、歌手を目指すようになりオーディションなどに応募するようになったそうです。

ただ、聖子さんのお父様はかなり厳格だった為、オーディションや歌の大会には両親にばれないようにこっそりと応募していました。

ある日、聖子さんは福岡市民会館で行われていた「ミス・セブンティーンコンテスト」の九州地区大会に好きな歌手に会いに行くと嘘をついて、お母様に車で会場まで送ってもらい大会に出場しました。

お母様が買い物から帰り会場へ戻ると、聖子さんがステージで歌っていてびっくりされたそうです。

お母様はすぐに負けて終わるだろうと思っていましたが、なんと、聖子さんは優勝し全国大会への切符を手に入れたのです。

後日、お父様にも報告しましたがやはりお父様には全国大会の出場を大反対されてしまいました。

聖子さんは一生懸命説明しましたが、「どうしても行きたいなら退学するしかない」と言い渡され、結局全国大会へ出場するという夢はなくなってしまいました。

全国大会のゲスト審査員には、郷ひろみさんもいたそうなので全国大会に出れなかったことはショックだったでしょうね。

チャンス到来!

ただ、ここから少しずつ松田聖子さんの人生も変わり始めます。

大会を視察していたCBS・ソニーディレクターの若松宗雄さんは、候補者の中から逸材が見つからずデモテープを100本以上聞き逸材を探していました。

そして、聖子さんのデモテープを聞いたとき歌声に魅了され「この子は絶対売れる!」と芸能界にスカウトします。

しかし、ここでも父のはばかる壁は厚く、若松さんと聖子さんは半年以上かけてお父様に認めてもらえるように何度もお願いをしました。

お父様も若松さんと聖子さんの熱意に圧倒され、3年という約束で芸能界入りを承諾しました。

松田聖子さんは、高校2年の夏に東京へ上京し、高校も堀越高校の芸能活動コースへ転校して卒業しています。

松田聖子さんの出演ドラマ・映画

松田聖子さんは歌手活動以外にドラマや映画にも出演しています。

ドラマでは『花ざかりの君たちへ』『たったひとつのたからもの』『平清盛』『おだいじに』等。

映画は『家族のレシピ』『矢島美容室THE MOVIE 夢をつかまネバダ』『火垂るの墓』等に出演しています。

2015年に公開された映画『PAN ネバーランド、夢のはじまり』の日本語吹き替え版では、松田聖子さんが主題歌『永遠のもっと果てまで』を歌っています。

こちらはイベントPANの模様です↓

さらに2021年3月には、松田聖子さんは映画監督としてもデビューされました。

作品名は『あの風が吹いた日』で、ジャンルはまさかのホラー映画です。

もともと霊感が強く日常生活でも霊を感じることがあったそうです。

聖子さんの言う通りに調べてみると、実際に不幸があったり、不幸が起きたりしたそうで今回の映画がどのように描かれているか気になりますね。

松田聖子さんの英語力は?

実は、松田聖子さんは英語がぺらぺらなことをご存じでしたか?

生まれも育ちも日本で、かつ多忙な聖子さんはどのように英語を習得したのでしょうか。

では聖子さんの英語学習の歴史から見ていきましょう。

ハワイ大学への短期留学

1980年にデビューし、1984年のまだアイドルとして活躍されている時に松田聖子さんはハワイ留学をしています。

忙しさから少し離れて、もともとやりたかったという英語の学習に専念したかったようです。

当時、トップアイドルが留学に行くなんて考えられないと周りからは反対されていたそうですが、それでも途中で屈せず色々な障害を乗り越えてハワイへ行きました。

ただ、せっかく念願のハワイに行けたのにマスコミの方が学校へ来たり、学校への問い合わせが殺到していた様です。

いよいよ学校がスタートというタイミングで、聖子さんは「これ以上学校や他の学生の方に迷惑はかけられない」と学校への通学を途中で辞退されています。

このことで、マスコミやファンからは「恋愛しにハワイへ逃げた」「語学留学なんて嘘」とバッシングもあり、帰国後には記者会見も開いています。

普通、英語を学ぶのにこんなに苦労しないですよね。

聖子さんは、この悔しい気持ちを糧に英語学習も努力されたのでしょう。

松田聖子さんの発音は良い?

松田聖子さんのアメリカでの活動は、日本のアイドルのイメージとはまったく違います。

アイドルとは真逆のクールな雰囲気で、最近ではJAZZの楽曲も新しく挑戦しています。

聖子さんの英語はどうか?というと、日本人の苦手な[r]や[th]の発音をとても綺麗に話されています。

アメリカに在住していたこともあるので、英語はアメリカの発音ですね。

では、実際に英語の曲を歌っている聖子さんをぜひご覧ください♪ ↓

松田聖子さんはグリーンカードも取得されているとのことで、アメリカでの活動もしっかりと見据えた本気度が伺えます。

松田聖子さんの英語の勉強法は?どうやって超多忙でも習得できた?

前回、ハワイ留学では不完全燃焼に終わった松田聖子さんですが、諦めきれず1990年にはアメリカで歌手デビューを果たしています。

この頃、交友を図るために聖子さんは積極的に英語を学び、CNNのインタビューでも流暢な英語で受け答えをしています。

当時、オンライン英会話など手軽に学べる環境やツールはなかったので、英語を習得するには自発的に学ぶ必要がありました。

そんな中、聖子さんは渡米という道を選択し、現地のアメリカ人と積極的に話し、コミュニケーションを取ってきたからこそ今の英語力を勝ち取ったのです。

超多忙で松田聖子さんが英語を習得された一番の方法は、この「積極的な姿勢」に尽きるのではないでしょうか。

まとめ

英語学習するにも一苦労された松田聖子さん。

今は、昔に比べ手軽に英語学習できる環境が整っています。

あとは、松田聖子さんのように「積極的な姿勢」さえあれば英語を話せるようになる日が来るでしょう。

今まで、英語を話したいと思っていたけれどまだ行動に移せていないという方は、この機会に英語学習を始めてみるのはいかがでしょうか。

また意外と知られていない英語が話せる芸能人も併せてチェックしてみてください! ↓

 

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この記事を書いた人

仕事を辞め、英語力0からワーホリでオーストラリアへ。
何から始めればいいか分からず、オーストラリア到着後3ヶ月間英語の学習方法について猛勉強。挫折と楽しさを繰り返しながら
帰国後、TOEIC700点取得。英検2級合格。
英語に関わる有益な情報をお届けします!

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